ジャガーノート

本や音楽の話を書いていこうと思います。

ゼルダの伝説 その1

ゼルダの伝説

マリオシリーズと並ぶ任天堂の看板タイトルであり、世界中にほとんどカルト的と言っていいほどの熱狂的なファンを持つ作品である。作品毎に異なる時代が描かれるだけでなく、キャラクターデザインやゲームシステムも変遷する中で、失われることのない「ゼルダらしさ」とはなにか。その答えを探すべくシリーズ1作目「ゼルダの伝説」に挑んだ。

 

※以下、ゲーム本編のネタバレを含みます。

 

 

 

 

居間のテレビを長々と占拠するわけにもいかないので、DS Liteゲームボーイアドバンス版のカートリッジを挿して遊ぶことにする。

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DS Liteは中古で1000〜2000円程度(2020年現在)、バックライト液晶でGBAのタイトルが遊べるのがうれしい。次世代機のDS iはGBA非対応なので、最後のGBA対応ハードとなる。リサイクルショップでワゴンから掘り出した機体の充電がしっかり残っていたのに驚いた。頼もしい。

 

 

さて、ゲームを起動する。

KILL MODEという物騒な名称のモードが。調べるとなんてことはない、セーブデータの消去のことだ。そんな些細なことさえも、現代のゲームとは少し感覚が異なる。公式サイトからダウンロードした説明書を読みながら、新たにデータを作りゲームスタート。

開始早々まずぶち当たるのは、一体これからどこへ向かうべきかということだ。ゲームの目的はガノンを倒しハイラルを救うこと。だがその道筋が作中ではほとんど示されない。口数の少ない住人達のおぼろでまばらなヒントを頼りに進めていくしかない。スタート地点にある洞窟の老人から剣を受け取ると、あとは迷子同然である。

とりあえず闇雲に歩き回る。墓場のじいさん、口を閉ざしたばあさん、無限ループの迷いの森など、散策するほどに謎が増えていく。そして一向に行くべき先は示されないのだ。

さまよって南へ行くと海岸に出た。ホワイトノイズの潮騒が聴こえる。ここが最南端だ。半魚人ゾーラの放つビームが堪える。こっちのビームはどうやら効いていないらしい。

どこをどう歩いたかよく覚えていないが、橋を渡ったところで唐突に迷宮をみつける。敵を振り切り駆け込むとLEVEL 1の表示が。まぐれか。正しい道のりにようやく足を踏み入れたようだ。

何度かゲームオーバーを繰り返しつつも、迷宮のマップを埋める。ビームがあればたやすい戦いも、ダメージを受けると途端に接近戦を余儀なくされる。ノーダメージ状態の圧倒的なアドバンテージが、かえって戦闘に緊張感をもたらす。ゼリー状のモンスター、ゲルを曲がり角で待ち伏せするような、姑息な戦法を取る始末。

余談だが、ゲルのプルプルと震える動きは「ドルアーガの塔」のスライムそっくりだ。ついでに言えば、リンクが盾を備える右側からの攻撃を防げるのもドルアーガと同じ仕様だ(ドルアーガのギルは右利きなので、盾を持つ左側面からの攻撃を防げる)。ゼルダの伝説ドルアーガからの影響を受けているのだろうか。

ドルアーガといえば「スライム=ザコ敵」の図式を作ったのも、この作品からなのだとか。D&Dでは剣の効かない難敵として描かれたスライムを、のろまな最弱モンスターとして扱ったのはドルアーガの隠れた功罪のひとつだろう。そしてスライムに与えられたその不名誉な印象は、後にドラゴンクエストによって決定的になる。

 

話を戻す。最初の神殿のボス、一角獣アクオメンタス(説明書には「一角獣と呼ばれるドラゴンの一種」という、ややこしい記述が)は距離を取ってビームを撃ち込めば簡単に倒せそうなのだが、敵もビームを撃ってくるわけで。一発でも攻撃を食らったら突撃して逆上気味にガチャ斬り。ギリギリでなんとか斬り伏せる。ようやくトライフォースのかけらを手に入れる。フィールド音楽をアレンジしたファンファーレが迷宮に鳴り響く。

小銭が貯まったのでマジカルシールドを購入。リンクの持つ盾が少し大きくなった。これでゾーラのビームも防げる。

 

ここで不意にセーブデータが消えるトラブルが。マジか。以降、DS本体及びカートリッジの取り扱いにめちゃくちゃ慎重になる。サクサクと戻し作業を行い、冒険を続ける。

 

つづく。

闘獣棋

中国の伝統的なボードゲーム「闘獣棋」を作った。

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闘獣棋の話をするとよく獣王記と間違われるが、全くの別物だ。

子ども達とポケモンカードゲームで遊んでみたら大層面白く、自分でもゲームを作ってみたい、と思ったのが制作のきっかけだった。構想当初は、高低差のある盤と駒・サイコロなどを使ったアナログ版のタクティクスオウガみたいな壮大なものだったのだが、ボードゲームをあれこれ調べる中で見つけた闘獣棋が、ルールもシンプルで気軽に遊べそうな印象だったので、こちらを先に作ることにした。アナログ版タクティクスはまた今度だ。人は一生のうちにいったいどれだけの工作を諦めるのだろう。

 

闘獣棋のルールの全ては、ウィキペディアで知った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%98%E7%8D%A3%E6%A3%8B

 

詳細はウィキペディアに譲るとして、大まかなルールは以下の通り。

・相手の駒を全て取るか、獣穴に辿り付けば勝ち。

・駒の動きは全て縦横1マスずつ。

・強い駒から順に、象・獅・虎・豹・狼・狗・猫・鼠。同等以下の駒のみ取れる。ただし鼠は象を取れる。

・「陷阱」(落し穴)のマスにある駒はどの駒でも取れる。

・川には鼠のみ入ることができる。また獅・虎は川を跳び越えることができる。

 

駒の動きが1種類のみなので覚えやすい。獣の種類は、猫が蛇だったりもするらしい。

ウィキペディアの画像だと川が池みたいだと思ったので、盤の左右まで突き通した川に3つの橋が架かるデザインにした。

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中央の橋はアーチをかけてこぎれいに、左右の橋は紅茶で染めてやや粗末な感じに。理由は特にない。左右対称にしたかったからか。

 

勝手にイメージしたのは、なんらかの呪術師が獣を使役し、川を挟んで戦うというものだ。川の両岸を森と草原にしようかとも考えたが、どうぶつしょうぎみたいになりそうなのでやめた。

落し穴の意匠は金文の「封」の文字にした。草を地面に植える形の象形文字だ。草木を植えて土地の境界を作ることから、閉じ込める、土盛りする意を表す字となる。獣穴の境界であり、封印の罠でもあり。このゲームにうってつけだ。

書体は白川フォントから。

http://www.dl.is.ritsumei.ac.jp/Shirakawa/search/?

フリーです。なんてありがたい仕事だろう。

封の字の色は少し黒みのある真朱に。中国の朱丹が由来だ。ルーツへのリスペクトは大切にしたい。

 

そしてこの工作最大のポイントは、盤と駒にネオジム磁石を仕込んだことだ。

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鼠を除く全ての駒と封のマスはN極を上に、川にはS極を上にした磁石が埋まっている。封印の結界を踏んだ獣は重力系の呪術により、身体の自由を奪われる。よって下位の獣にも攻撃を受けてしまうのだ!っていうこの設定よくないですか。

何より鼠以外の駒で川に踏み込もうとしたときの反発がいい。ルール違反を防ぐと同時に「川には入りたくない」というレスポンスが駒から返ってくる。駒からのレスという感覚は新しい。完全に支配したわけではない、獣の意志を感じる。階段が苦手だった白い犬を思い出す。「そっちには!行きたくない!」というあの感じ。無理に川に駒を置くとひっくり返ってしまう。鼠だけがすんなり入れる仕様。

封印の結界は鼠にも無効ではないのだが、ゲーム上、奴は八部衆の中では最弱なので効いたところで無意味。設定の上では、鼠は体重が軽いので重力系の術は効果が薄いッ……!ということになっている。

 

 

材料はコルクボード、ヒバ、バルサネオジム磁石、紙。構想2年、制作述べ5日ほど。

 

画像フォルダにある最古の記録。2018年6月23日。

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完成。2020年5月3日。

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凝らなければ10分ぐらいで作れるだろうし、既製品も売っているが。楽しかった。満足だ。

 

 

宮澤 余市

https://twitter.com/classic108fuzz

 

 

これはもうこうするしかない

また休校になる。

わかっていたことだ。感染症が拡大し続けるのも、日々公表される東京都の感染者数に今は何の意味もないことも。飲用のアルコールで消毒できることも、布マスクの効果も。経済への影響を懸念して決断が遅れることも、その決断の遅れが結果として経済に取り返しのつかない爪跡を残すことも。

責任を取らなくてもいいことになるタイミングを見計らっている。これはもうこうするしかないよね、という空気が醸成されるのを待っている。みんなで渡れば怖くないってことか。どこへ渡ろうというんだ。都市封鎖の未来か。もし大型連休をこれまで通りの自粛で乗り切ろうとしてるなら、ツケを払うのはきっとその2週間後だ。

 

 

今日は晩にハヤシライスを作った。スーパーでは牛肉が品切れだったので、豚肉を使った。豚肉を焦げ目が付くまで焼いて、冷蔵庫にある野菜を刻んで煮込む。玉ねぎ、椎茸、ぶなしめじ、ズッキーニ。

宅配で届いた荷物は受け取ってそのまま玄関に置いてある。明日、部屋に入れよう。

休校中に子ども達は韓流ドラマにはまった。『王の顔』のレゴがあったらいいのに、と言う。ないよ。レゴニンジャゴーで我慢してくれ。ニンジャゴーから自分達の手で朝鮮王朝を作り出してくれ。

 

近所で鯉のぼりが揚がった。そうだ、五月人形を出さなきゃ。

 

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宮澤 余市

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陽だまりのネコ

いつ日常を取り戻すか。

まずは2週間の我慢なのだと思っている。東京都では、4月8日から4日連続で3桁の感染者数となった。ざっくりと潜伏期間などを考えれば、これは2週間前の感染状況を表す数字だ。つまり3月25日から28日の間にこれだけの感染があった、と捉えられる。そしてそれはおそらく、続く3月29日以降も増えていったのだろう。グラフを見る限り感染者数の増加は指数関数的とは言えず、概ね線形に見えるが、これは検査人数の限界によって頭打ちをされているだけに思える。この感染症の特性からすれば、潜在的には指数関数的に増加していると考えるべきなのだ。

 

この状況で新年度の進学や就職、異動などを終えた人々が各地で新生活を始めている。まだ警戒を緩める時期ではないと思う。

 

いま子ども達を学童保育や保育園に預けない理由は、模範的に言えば感染拡大抑制のためなのだろうが、本音は我が子への感染を防ぎたいというだけかもしれない。肚がどうあれその効果に変わりはない。人々が外出の機会を減らすほどR0は低くなる。これだけは確実だ。

 

ただ、この感染症との付き合いは長くなる。いつまでもこの暮らしを続けていくことは難しい。子ども達には学校や保育園で楽しく過ごす時間が必要だ。

新年度が始まり2週間が経って、状況が良くなれば登園を再開しようと思う。

 

と書いている間にも、札幌では再び休校措置を取ることが発表された。義実家からは出来るだけ保育園をお休みさせて、と電話が来る。端からそのつもりですよと言いたいところだが、正直日に何度も迷っている。我々の日常をいつ再開するのか。

少し気を抜けば、陽だまりを求めるネコのように、穏やかな予測に吸い寄せられてしまう。

 

今日は公園で鬼ごっこなどをした。子ども達の放牧をしているようだった。

 

 

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宮澤 余市

https://twitter.com/classic108fuzz

 

日々の記録としての素描

イタリアの小説家、パオロ・ジョルダーノによるエッセイ『コロナの時代の僕ら』を読んだ。そして、日々変化するこの感覚を自分でも記録しておこうと思った。感染者数などの数字は、あとで誰でも追える。だが個人の感覚はそれぞれが記録しておくしかない。

正確さは求めない。速く書いて大まかに捉えられればいい。日々の記録としての素描だ。

 

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少し遡って書く。2月下旬に北海道は独自に緊急事態宣言を行った。学校は休校となった。その少し前から、家族が順にインフルエンザやその他の風邪を患っていたので、妻と交代で仕事を休み子守をしていた。交代で、と言っても週のうち妻が4日、こちらが1日休むぐらいで全く公平ではない。人が少ない職場だから休みにくいのだという口実で、いつもこんな分担になっていた。

休校になったらどうするのか。妻と話し合ったが、在宅で働くしかないだろう、と割とすんなり思った。幸い今持っている仕事は軽い。PCとネット環境さえ整えばなんとかなる。

週末に光回線の工事をあれこれ調べたが、開通までに1週間ぐらいかかるらしく諦めた。通信速度よりも開通までの時間が重要だったので、ホームルーターを導入することに決めた。

週明け、仕事を終えて駅前の大型家電量販店へ向かった。19時半には店に着いたが、諸々の手続きを終えた頃には21時の閉店を少し過ぎていた。

職場からは在宅勤務を進めることについては咎められなかったが、お金はどうなるか分からなかった。通信費、光熱費、備品代など、厚生労働省やら労働局やらの資料をよく漁った。公明正大にするならば、こちらにはなんの損もないはずだった。在宅勤務に当たって不利益変更は禁止されているようだった。だがこれは後になって、想定する中で最も不利な形に決着する。仕方なく飲んだのは、どうあれ家にいるのが最善だろうと考えたからだ。

職場と交渉を続けている最中、休校はひと段落した。学童保育や保育園も、自粛要請付きではあるものの再開した。何度か出勤日があったが、その日は妻が仕事を休んだ。とにかく我々は、いま子ども達を学校や保育園に預けるのを避けたかったのだ。

とはいえ、自分の警戒心が緩み始めた自覚もあった。出勤日に妻の仕事の都合が付かなければ子ども達を預けるのも仕方ないかもしれない。保育園の入園式ぐらいは出席させた方がいいのか。何より懸念したのは、収入を減らして在宅勤務を始めた途端この感染症が収束したら、ということだ。大袈裟にも程がある。

 

最後の出勤日に同僚から飲み会に誘われた。3月末のことだ。事前に打診があったのだが、断りにくいので保留にしておいた。これだけの感染症が蔓延している中、正気かと思った。感染拡大のリスクがあるから参加出来ない、と言うべき空気ではなかった。だからこそ彼らは宴会を企画しているのだ。店のことも頭をよぎったが、いつも予約なしで行く店なので1人減ったところで特に問題ないだろう。当日は急用が出来たと嘘を付き、参加せずに帰宅した。

 

こうして完全な在宅勤務に移行した。パニック映画に登場する、迷信深い変わり者になった気分だった。いつかとんでもないことになる。そう一人で騒いでいるような気持ちにもなる。

 

宮澤 余市

https://twitter.com/classic108fuzz

ヘラガニのトマトクリームパスタ

ウチダザリガニを食べて、外来生物のことを考えてみた - 紺色のひと

 
上記リンクの記事を読んだら突然ヘラガニのトマトクリームパスタが食べたくなり『ジジヤババヤ』に駆け込み、大盛りを注文した。
 
 
うまい。
もしヘラガニが外来種に駆逐されそうになったら、この土地の人達は全力で阻止するでしょうね。
 
 
その後ぷらぷらと海沿いを散歩していたら、防波堤にカニの脚が落ちていた。
 
 
さっき食べたのとおんなじやつだ。海鳥の仕業だろうか。
 
 
 
暇に任せて散歩を続ける。
 
 
祠。
 
神社。
 
川。
 
土の匂いが濃い。空がきれいだった。
 
 
 
 
ところで、庭のイタドリ問題が更に深刻化してきた。壁から1mぐらいの所にも生えてきたので、そろそろほんとに床板を貫かれかねない。
 
刈るから根が延びるのかな。
種の多様性を取り戻す、なんて大義を振りかざすまでもなく、ただただイタドリと陣取りを繰り広げている。
 
「農業は人類がこれまでに行った最大の環境破壊である」という言葉を思い出しながら、伐採しまくる週末。
 
住処を失った黒いアブの仲間(たぶん)が、ふわふわと大量に漂っている。
どうすんだこれ……と思いつつも、現実逃避気味に部屋へ逃げ帰る。
次の日の朝、車に鳥の糞がいくつも落ちていた。アブを食いにきたか。
 
 
切り拓いた所までがうちの庭なのだ。
この戦いが終わったら、庭に花を植えるんだ。
(イタドリに敗北するフラグ)
 
 
宮澤 余市

Perfume FLASH

PerfumeFLASH

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[Official Music Video] Perfume 「FLASH」 - YouTube

 

 

中田ヤスタカさんは以前からテーマに合わせた作品作りがうまいが、映画『ちはやふる』の主題歌でもあるこの曲の、めくるめくかるたモチーフの炸裂っぷりはすごい。

 

火花のように FLASH

光る 最高の Lightning Game

鳴らした音も置き去りにして

 

とか、もう完全にかるたのことしか歌ってないし、サビで思いっきり「ちはやぶる」って歌ってるし。そして、間奏でギュルギュル唸るシンセの推進力よ。

 

中田さんがよく使う、ハンドクラップを深いリバーブで ズパ————ン‼︎って飛ばす音が大好きなんだけど、それを聴くといつもこの曲の「鳴らした音を置き去りにして」の部分を思い出してしまう。前の小節で鳴らしたハンドクラップの残響が、次の小節の4つ打ちにぐいぐいと押しのけられて、音量が揺れるじゃないですか。曲が躍動するじゃないですか。たまらん。

CAPSULEの『Sugarless GiRL』で、おなじみのハンドクラップ+リバーブに合わせて、中田さんが目を見開くシーン、超かっこいいよな。聴きながらこっそり真似しちゃうよな。こんなふうに残響を自在に操れるのは、録音作品のおもしろさのひとつだ。

 

 

以前、三宅純さんが情熱大陸で、リオオリンピック閉会式での『君が代』について語っていた。スタジアムの残響を考慮して、和音が濁らないように間をとってあるっていう話がおもしろい。天然リバーブは長さをコントロールできないから(あたりまえだ)、それに合わせて編曲しますよっていうスタンスに、なんだか目からウロコだった。和声を複雑にしたいから、じゃあフレーズの間隔あければいいじゃんっていう逆転の発想に脱帽。

 

 

話を『FLASH』に戻す。

このミュージックビデオ、Perfumeの3人が中国拳法の演舞みたいなのをやってるんだけど、素早く細かいカット割りや、身体性を強調する、透け感+ひらひらの衣装がかつてないかっこよさ。設計図のような素っ気ない白線のエフェクト。そして、ちょこっと差し挟む手裏剣ポーズ。

Perfumeはこういう確信犯的な外しというか、あえてズラしつつ誇張した、虚構的ニッポンみたいなのがよく似合う。

 

Perfumeらしさ、曲との調和、見せ方の新しさなど、様々な点で大傑作なMVだと思います。

 

 

宮澤 余市