ジャガーノート

本や音楽の話を書いていこうと思います。

日々の記録としての素描

イタリアの小説家、パオロ・ジョルダーノによるエッセイ『コロナの時代の僕ら』を読んだ。そして、日々変化するこの感覚を自分でも記録しておこうと思った。感染者数などの数字は、あとで誰でも追える。だが個人の感覚はそれぞれが記録しておくしかない。

正確さは求めない。速く書いて大まかに捉えられればいい。日々の記録としての素描だ。

 

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少し遡って書く。2月下旬に北海道は独自に緊急事態宣言を行った。学校は休校となった。その少し前から、家族が順にインフルエンザやその他の風邪を患っていたので、妻と交代で仕事を休み子守をしていた。交代で、と言っても週のうち妻が4日、こちらが1日休むぐらいで全く公平ではない。人が少ない職場だから休みにくいのだという口実で、いつもこんな分担になっていた。

休校になったらどうするのか。妻と話し合ったが、在宅で働くしかないだろう、と割とすんなり思った。幸い今持っている仕事は軽い。PCとネット環境さえ整えばなんとかなる。

週末に光回線の工事をあれこれ調べたが、開通までに1週間ぐらいかかるらしく諦めた。通信速度よりも開通までの時間が重要だったので、ホームルーターを導入することに決めた。

週明け、仕事を終えて駅前の大型家電量販店へ向かった。19時半には店に着いたが、諸々の手続きを終えた頃には21時の閉店を少し過ぎていた。

職場からは在宅勤務を進めることについては咎められなかったが、お金はどうなるか分からなかった。通信費、光熱費、備品代など、厚生労働省やら労働局やらの資料をよく漁った。公明正大にするならば、こちらにはなんの損もないはずだった。在宅勤務に当たって不利益変更は禁止されているようだった。だがこれは後になって、想定する中で最も不利な形に決着する。仕方なく飲んだのは、どうあれ家にいるのが最善だろうと考えたからだ。

職場と交渉を続けている最中、休校はひと段落した。学童保育や保育園も、自粛要請付きではあるものの再開した。何度か出勤日があったが、その日は妻が仕事を休んだ。とにかく我々は、いま子ども達を学校や保育園に預けるのを避けたかったのだ。

とはいえ、自分の警戒心が緩み始めた自覚もあった。出勤日に妻の仕事の都合が付かなければ子ども達を預けるのも仕方ないかもしれない。保育園の入園式ぐらいは出席させた方がいいのか。何より懸念したのは、収入を減らして在宅勤務を始めた途端この感染症が収束したら、ということだ。大袈裟にも程がある。

 

最後の出勤日に同僚から飲み会に誘われた。3月末のことだ。事前に打診があったのだが、断りにくいので保留にしておいた。これだけの感染症が蔓延している中、正気かと思った。感染拡大のリスクがあるから参加出来ない、と言うべき空気ではなかった。だからこそ彼らは宴会を企画しているのだ。店のことも頭をよぎったが、いつも予約なしで行く店なので1人減ったところで特に問題ないだろう。当日は急用が出来たと嘘を付き、参加せずに帰宅した。

 

こうして完全な在宅勤務に移行した。パニック映画に登場する、迷信深い変わり者になった気分だった。いつかとんでもないことになる。そう一人で騒いでいるような気持ちにもなる。

 

宮澤 余市

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