メメントモリ・ジャーニー
亜紀書房のウェブマガジン『あき地』で連載していたメレ山メレ子さんの『メメントモリ・ジャーニー』が、遂に最終回を迎えた。
メメントモリ・ジャーニー - 新しい故郷 | ウェブマガジン「あき地」
こんなに楽しみな連載は、中学生の頃読んでた週刊少年ジャンプ以来だったので、書籍化が待ち遠しくてたまらない。書き下ろしもあるんだって。
ウェブマガジンのいつでも読める便利さも捨てがたいが、やはり手元に置きたい。装丁とか、ブックデザイン的な部分でも楽しみです。『メメントモリ・ジャーニー』は、前作『ときめき昆虫学』の編集者が携わっているそうなので、期待せざるを得ない。
『ときめき昆虫学』の装丁もかなり好きだった。
タイトルロゴのデザインがいいし、中央に据えられたカイコもかわいいし、表紙に散りばめられた文も妙に興味を引くものばかり(「単位おかしくないですか?」の本文中での衝撃といったらない)。巻末付録までついて、一切の出し惜しみなし。
『ときめき昆虫学』の感想なんかはこのブログの最初の記事に載せておりますので、よろしければご一読ください。
紙とか写真の質感とか、紙の本でなければ出せない魅力はたくさんある。
ふたつ歳上の兄は、買ってきた本を開く前に必ず一度、ペラリと表紙のカバーをめくっていた。なにしてんの?と訊くと、「カバーの下にオマケのイラストやメッセージなんかが書いてあったりするんだ」と教えてくれた。
『ときめき昆虫学』のカバーの内側にも、すてきなイラストが潜んでいる。
と書いてて思い出したけど、新刊に付いてる帯紙、あの帯に載ってる推薦文などのいわゆる「帯文」を収集している『帯文データベース』というサイトがあるのを最近知った。こういう活動は貴重だ。
帯も電子書籍では、ない……のかな??知らないや。技術的に載せられないワケはないだろう。ただ、ページをめくるテンポを考えると、
表紙(カバー付き帯付き)
↓めくる
表紙(カバー付き帯なし)
↓めくる
表紙(カバーなし)
なんて脱衣麻雀みたいにちまちまやってられっか!という人もいるだろうな。だから帯を省略してる電子書籍も多いんだろうな。たぶん。知らないけど。
脱線しました。
『メメントモリ・ジャーニー』です。本題は。
「旅と死について考える連載」と銘打たれた旅行記なのだが、ひとことで「旅行記」とくくるのがためらわれるぐらい、内容が濃い。スプーンが立つぐらい濃い。随筆的な部分も多いし、書店ではどの棚に並ぶんだろう。
メレ山さんのブログ『メレンゲが腐るほど恋したい』で見られたハイテンションな文体は鳴りを潜め、落ち着いた語り口でより内面的な部分に触れられている。旅行の内容自体は『メレンゲ〜』や『ときめき〜』で既に語られていることも多いのだが、目線が違うというか、編集方針が違うというか。ひとつの旅行を記録した同じフィルムの中からどのコマを繋ぎ合わせるか、が違うだけで、こんなにも印象が変わるのかと思う。
とはいえ、ブログでおなじみの軽妙な言い回しや、会話のおもしろさをコンパクトに抜き出すセンスは引き継がれているし、「旅と死」をテーマに据えているわりに全体が暗くなり過ぎないのは、メレ山さんが注意深くコントロールしているからでもあるのだろう。
藤村Dの話で特に印象に残っているのは、「『どうでしょう』の大泉洋のキャラクターは編集で意図的に演出している」というものだった。例えば、大泉洋さんの発する下ネタは全部カットしている。撮影現場で下ネタNGの縛りがあるわけではないのだが、「深夜番組だからといって下ネタに頼る番組作りにはしたくない」、というこだわりの編集方針だったらしい。だから大泉さんは番組には使われないものの、けっこう下ネタを連発していたらしい。
『ヨルタモリ』では終始下ネタだったもんな、大泉さんの回……。おもしろかったけど。
メレ山さんは、そんな演出がとてもうまい人だと思う。『メレンゲ〜』とツイッターと『メメントモリ・ジャーニー』では、文の調子が全然違うが、気分で変えているわけではなく、それぞれ見せる貌が違うだけなのだろう。
「これはたしかにすばらしい日々だ、(中略)こういうものを集めることで死ぬのを一日先に遅らせることはできる。」
地面に落ちた黒い影を見て、日の光の強さを実感するように、死を意識することは、同時に生きることも強く意識させる。『月桃とすばらしい日々』は『メメントモリ・ジャーニー』のエピソードゼロだ。短いけど何度も読み返したくなる。
数年前に収入保障型の保険に加入してみたら、生きる意味がひとつ失せてしまった気がした。この博打は、自分が死ぬ方に賭けたのだ。勝っても負けても得を残したい、典型的な博打下手の賭け方だ。なんということだろう。
死が生を意識させるように、旅は故郷や家を想わせる。
『メメントモリ・ジャーニー』には、マンションを購入する計画が登場する。
巣作りをするように、少しずつ手を入れたり、家具を探したり。マンションを好きに改装して住むのはとても楽しそうだ。
浮かされたように、とりあえず勢いで芝生みたいな緑色の絨毯を買った。部屋に敷いてみると俄然盛り上がってくる。そして今は、絨毯に似合う無垢のローテーブルを作り始めている。住処を整えることは、即ち生きて暮らすことなのかも知れない。そのへんのカフェみたいな家にしたいとは思わない。
連載の最後、ひとりで暮らす家を思い描きながら、そこで育もうとしているのは、他者との関わりだ。住処を整えるのと同じく、周りとの関わりを育むこともまた、生きて暮らすことなのだ。
って感想を書いていて、改めて、この連載すげえ……!ってなってる。「旅と死」という一風変わったテーマが、こうもしっかりまとまるとは。
無垢材のテーブルに置かれた花瓶を照らす、5月の朝日のようです。
LAMY safari フリクション化計画
「LAMY safari ボールペン」に、消せるボールペン「PILOT フリクションボールノック」の替芯(リフィル)を突っ込めるように改造を施したので、その方法をまとめました。
これがサファリです。
フリクションはこれ。
ペン先の加工(先端編)
まず、フリクションの芯がサファリのペン先を通るか試してみると……。
つっかえて通りません。フリクションの方が太いです。
フリクションの芯の直径(先端の金属部分)はおよそ2.5mm。
目測で当たりをつけて、試しにフリクションのペン先に、2.5mmのドリルの刃をそっと差し込んでみると……。なんということでしょう、ぴったりです。
ジャキーン。
まさか、フリクションの替芯は、他のペンに装填されることを期待しているのでは……?
ペン本体よりも替芯を売ることで稼ぐ作戦なのか?
ど素人の工作で半端なサイズに加工するのはとても面倒くさ…いや難易度が高いのです。それがこんなキリのいい数字だなんて。
他の替芯より、ちょっと太めなのもあやしい。穴を縮小するのは結構な手間ですが、拡張するだけなら簡単だもんね。
「替芯で稼ぐ」と考えれば、フリクション本体のあの……なんというか、控えめに言って微妙なデザインも納得です。なんであんな男子小学生向けなデザインなんだろう。ちょっとスポーティー過ぎるというか……。瞬足みたいだよ。
個人的な趣味で言うと、ロゴの蛍光色が致命的。
前置きはこのぐらいにして加工していきます。
ペン先の内側からドリルで穴を広げます。あっという間。1秒で貫通します。電動ドリルがなければ替刃だけ買ってきて、手作業でやっても大した時間はかからないはず。
ペン先の加工(内側編)
さて、加工済みのペン先に芯を挿入してみると、まだ干渉するところがあります。無理に入れれば入るけど、そのあと振っても抜けないぐらいキツい。
サファリの芯に紙やすりを巻きつけて、ペン先の内側を少しずつ削ります。
ぐりぐり。
ここには保持力を求めない方がいいでしょう。芯を差し込んだペン先が、逆さにすると落ちるぐらい、ゆるゆるにしたい。ただし、厚みに余裕がないので削り過ぎに注意してください。現物合わせでマメにサイズを確認しながら進めます。
芯の長さの調整
フリクションの芯の方が長いのでサファリの芯に合わせて短く切り詰めます。
柔らかい素材なので、鋸よりナイフでバツンとひと思いに切断するのが楽。
ちょっと長めに切って、ノックの感触を確かめながら調整すると失敗しないよ。
(↑短く切り過ぎて1度失敗した…)
切り過ぎた例。
スプリング
フリクションに付いていたスプリングを使います。無加工です。らくちん。
組み込み
組み込みます。
……特になにも言うことはありません。
完成
正直に申し上げると、今までフリクションが好きではありませんでした。ペン本体のデザインもさることながら、あの水っぽいうすぼんやりとした発色が嫌いで。
でも、職場ではけっこう使ってる人が多くて、試しに使ってみたらやっぱり便利なんですね。消せるから。いまさらだけど。
あと、ボールペンとしてはパッとしない発色でも、鉛筆代わりにメモ書き用として使うと見やすい。To Doリスト的なやつをフリクションの赤と青でザザッと書くと視認性抜群です。
黒は……ダメだな。薄墨みたいで辛気くさい。
ところで、仕事用としてはいちおうその価値を認めざるを得ないフリクションですが、プライベート用としてはどうでしょうか。
フリクション嫌いだったのにね。
せっかく高級なノートだから、きれいに使いたいわけですよ。あんまり書き損じとか残したくなくて。ブルーブラックのインクならあの水っぽさもまだ許せる。
ところが、今回の改造にあたっていろいろなサイトを閲覧しまくったのですが、「フリクションで書いた文字が消えるトラブル」ってのがちらほら。「炎天下の営業車に手帳を放置したらスケジュールが全消し(笑)」とかマジで笑えねえ……。
工作やら発明やらおもしろ動画の数々を記したこのモレスキン、立派な装丁ゆえに死後も大切に保管されて残るかもしれない。だが、フリクションインクの耐久温度は60℃。これを超えるとインクの色が失われてしまう。
そしてある日、子孫が紐解いたら白紙のノートが、ってこれもうほとんどキテレツ大百科じゃん。
やっぱりモレスキンにはふつうのペンで書くことにしよう。
鮮緑の城壁(イタドリを伐採する話)
イタドリの新芽をひとつ見つけたら、地中にはその10倍の芽が潜んでいる。
新芽の数を数えて後ろを振り返ったら、もうひとつ増えている気がする。
赤や紫の毒々しい色の新芽は摘んでもすぐ生えて来るし、摘み残した芽はあっという間にニョキニョキ伸びます。伸びたイタドリをよく研いだナイフで薙ぎ払うと、ノコノコを踏んづけたときのように小気味よくポコッと鳴る。茎の中が空洞だからだろうか。たのしい。ポコポコ切っては崖下に放り投げる。崖の下には枯れたイタドリが雪の重みでぺしゃんこに潰れて積み重なっています。去年の分だ。たぶんその下には一昨年の分。そこはきっと虫達の恰好の住処になっているんだろうな。
イタドリの節の中にはたまにイタドリムシと呼ばれる、コウモリガの幼虫がいる。
「節を割ると中からかわいらしいコウモリガの赤ちゃんが…。」
なんてまるで竹取物語のようですね。ていうかこれだとイタドリ物語ですね。
コウモリガの成虫は餌を摂らないらしい。もの思いに耽っているわけではないが、ちょっとかぐや姫っぽくないですか?月夜に羽ばたいて行ったりすると尚更よくないですか??
……あの地味なルックスだと無理あるかな。
イタドリムシは川魚を狙う釣り人に人気があり、けっこういい値段で売れるようです。1匹100円だとか。いい値段の基準は人それぞれ。まあ釣り餌として高価なのはわかるが。
とはいえいったいどこで売ればいいんだろう?国道沿いでメロンとかトウキビとか売ってるあの感じで、しれっと屋台を組めばいいのかな?「爆釣!イタドリムシ」とかのぼり立てて。
「イタドリムシ」で検索すると、トップに来るのは「イタドリムシ食べました」の記事。釣り餌情報より上って……。他にも食べた系の記事がちらほら。人の食への好奇心というのは果てしないですねー。「ざざむし。」や「野食ハンマープライス」など「いろいろ食べてみる系」のブログを読んでいると、毒がなければなんでも食えるのかなと思います。気持ちの問題なのかなー。
イタドリ自体も若いうちは食えるらしい。ウソだと思うならクックパッドで見てみてください。めくるめくイタドリレシピの数々。
でもあんまり食べ過ぎると体によくないらしいよ。シュウ酸がどうとかってグーグル先生が。
イタドリと格闘していると星新一さんの「繁栄の花」という話を思い出します。(思いがけず本の話に漕ぎ着けることができて驚いています)
宇宙人から贈られた花をこっそり増やしてしてしまい……。やめた。ショートショートのあらすじなんて無粋な真似はよそう。「宇宙のあいさつ」に収録されていますよ。
福島に住んでいる友達から、イタドリ対策としてヤギを飼うという話を聞いたことがあります。刈っても刈っても生えてくるので、ヤギに食わせるんだって。レンタルヤギのサービスがあるそうな。一瞬なにそれうらやましい…!ってなったけど、よく考えたらイタドリをウンコに変換する装置なんかぜんぜんうらやましくなかったわ。別にヤギ好きじゃねえし。
5、6羽ぐらいのウサギの群れが協力してイタドリを殲滅する!とかだったらかわいいのに。ウンコの処理も進んでやるのに。
例年、春から初夏にかけてはイタドリを刈るのにやっきになっているのですが、暑くなってくるともうまったく勝てる気がしないくらいの勢いで茂り出すので、「緑のカーテンもいいかもね…」という気持ちになり伐採を完全に諦めるのがお決まりのパターン。実際、真夏のイタドリは「緑のカーテン」などという生ぬるいレベルではなく、もはや「鮮緑の城壁」と呼んでも差し支えないくらい強固な仕上がりなので、さながらイタドリの軍門に下ったかのよう。家ごと囚われてしまうのだ。
灯油タンクがイタドリに食われそうだよ。
ヒグマの本(主に慟哭の谷)
屋外からヒグマが人を食む音と悲鳴が聴こえてくる。
以前「シャトゥーン ヒグマの森」をちらっと立ち読みしたらそんな感じの描写があって、「生きながら獣に食われるのってなんかウソくせえな。こわいし」と思い本を閉じてしまいました。
なぜならその頃は、「野生の獣は獲物を苦しませることなく絶命させる」なんて与太話を信じ切っていたからです。(マジで)
あと「魚は痛みを感じない」ってのも信じてたっけ……。アホか。魚だって痛いに決まってんじゃんか!よしんば哺乳類的な痛覚がないとしてもだよ?身を切られれば切られたなりの「命に関わる大ケガの予感!!」みたいな警報が魚体を駆け巡るもんなんじゃないの?それを人は痛みと呼ぶんじゃないの?フカヒレなんて二度と食わねえからな!!……うまかったけど。うまかったことは覚えておくけど。
話が逸れました。
獲物との力の差が小さければ、捕食者としてもさっさと締めないとヤバいというのは想像できる。ライオンだって、獲物(ウシ科)に蹴られて大ケガとかツノが刺さって大ケガとか絶対いやだろうし。
逆に言うと、捕食者に身の危険がないのなら別に食う前に殺さなきゃいけない理由もありません。ひれを切り取ったサメを生きたまま海に棄てるのと同じですね。むごいー。
世界最悪の獣害事件と言われる「三毛別羆事件」は、この残酷な事実を否応なく突き付けてきます。人間とヒグマの圧倒的な力の差に慄くばかり。
ウィキペディアの迫力ある記述も有名ですが、現在この事件の詳細を知ることができるのは木村盛武さんの「慟哭の谷」のお陰です。
事件の生存者に直接取材しており、現場の状況や仔細なエピソードが図を交えて記されています。誰がなんて叫んだか、なんてことまで書かれてる。克明に描かれた事実の合間で木村さんの感想が語られるのですが、取材する中で感じたであろう無念さや恐れが浸み出して来るようで、読んでいて怖くなります。
ただ怖いというだけでは、大勢の人が亡くなったこの事件の読み方としてやや不謹慎な気もしますが、
ヒグマこわい。
↓
こわいから遭遇したくない。
↓
遭遇しないためにあいつらの習性が知りたい。
↓
人とヒグマが出会わないウィンウィンな関係。
という結論が導きだせるので、ぜひぜひ大勢の人に読んでいただきたい。そしてヒグマのみなさんには、なにとぞ人里に降りてこないようにお願いしたい。うちの近所にも出るんだよ…。かんべんしてくれよ……。
読書がにがてーっていう人には、漫画版のシャトゥーンでもいいかも。ちょっとぶっ飛んでるけど、ヒグマのヤバさは充分伝わるはず。
とりあえず、
・時速60kmぐらいで走れる
・火を怖がらない
・木登りも得意
・執着心がやたらつよい
・車にはねられても平気
あたりの情報は義務教育で仕込んでほしい。
ところで、木村盛武さんの別の著書(タイトル忘れた)でヒグマの陰茎骨が紹介されていて、「陰茎骨ってなにそれしらない」ってなっていろいろ調べてみたんだけど、哺乳類はけっこうみんな骨入ってるんだって。骨がない方が珍しいらしいよ。我々は仲間外れだったのだ。
でもまあ、もし骨折したらとか考えたらない方がしあわせな気がするよ。
ときめき昆虫学
メレ山メレ子さんの「ときめき昆虫学」を読み終えました。
これ、田舎の本屋には置いてなくてな……。札幌に行って探すんだけど、まずどこのコーナーに置いてるのかなーってところからスタート。ペット、アウトドア、旅行など、ありそうなコーナーをひと通り漁るが見当たらず。人目を気にせず(気になるけど)女性エッセイコーナーも物色してみて、やっぱりない。どこにもないよー、と2週間ぐらい探して、澄川の大型書店コーチャンフォーでやっと見つけました。住んでる土地のど田舎っぷりを恨む。恨むぜ……。
大型書店には昆虫コーナーがちゃんとあるので、ムダに女性エッセイコーナーをうろつく必要もありません。面出ししている「ときめき昆虫学」第2刷を手に取り、その後、棚にささってた初版となめらかに取り替えっこ。(むやみな初版信仰)
帰宅を待たず書店内のミスドでドーナツをパクつきながら読む。
いろんな虫の話が全部で20章収められていて、どっぷり浸れます。コーヒーのおかわりも止まりません。内容も章ごとに飼育、観察、遊び、採集、研究、実験、食などさまざまで、読み終わったあとに目次を眺めると軽く混乱します。
我を忘れてひとつのことに熱中してしまう人の話はハズレなしだと思います。熱中している様子がそもそもおもしろいので。
読みながら、昆虫採集に命を懸けていた少年時代の気持ちがふつふつと思い出されてきます。実際命が懸かってたのは虫達のほうだが。あとはエーミールのことかな……。
「ときめき昆虫学」、おすすめです。